明治9年古文書 石動山金子土蔵

 平安・鎌倉の頃から霊山として栄えた石動山(せきどさん)。この山には、かつて百余の院坊が立ち並び、修験の僧たちが修行に励みました。

その中でも、大宮坊の隣に位置する「宝池院(ほうちいん)」は、14ヶ院坊を支配したと伝わる有力な院坊の一つ。山内でも重要な役割を担っていたと考えられます。

山岳信仰の中枢であり、氷見側の大窪口を通じて海の町との交流も深かったとされています。

明治9年、神仏分離の波が押し寄せた時、氷見の網元・濱元四郎三郎の家が、この宝池院の土蔵を30円で譲り受けたという記録が残っています。


その文書を、氷見市立博物館の学芸員の皆様に相談後、解析して頂きました。


明治の神仏分離令の際、氷見の網元・濱元四郎三郎家が、この宝池院の金子土蔵を30円で譲り受けた証文が現存しています。

 「30円台金のうち、手付けとして4円支払い済み、残り26円を3月5日までに払うこととし、延期は不可」という内容になります。

その文書には「宝池幾代治」の名と宝池幾代治の署名と印が確認できます。

山から海へ、信仰と文化が受け継がれたことが伺えます。

そして、2025年夏、濵元家第18代・19代で石動山を登り、宝池院跡を訪ねてきました。

静かな森の中、礎石の上に立ち、千年の祈りの痕跡を感じることができました。








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